2025/11/20

[Column] 📖第2回:冷徹な確率か、熱き信頼か──
起用法に見る「日米の野球観」 📖Part 2: Cold Probability or Burning Trust?
The Philosophy of Player Management

Column: Baseball Analytics & Culture

【連載】MLBとNPB、数字で見る文化の違い
第2回:冷徹な確率か、熱き信頼か──
起用法に見る「日米の野球観」

その瞬間、スタジアムの空気が凍りつくのを感じたことはないだろうか。

試合は中盤、1点のリードを守る場面。マウンドには、ここまで無失点に抑えてきた先発投手がいる。球数はまだ70球。誰もが「彼はまだいける」と思っている。しかし、監督がベンチを出てくる。ためらいのない足取りで審判に告げられたのは、投手の交代だ。

「なぜだ? まだ投げられるじゃないか」

スタンドからはブーイングにも似たどよめきが起きる。だが、MLBのベンチ裏では、その交代は試合前から決まっていた「必然」なのだとしたら──。

一方、日本のプロ野球(NPB)ではどうだろう。8回裏、満塁のピンチ。監督はマウンドの若きエースに歩み寄り、こう告げる。

「ここはお前心中だ。悔いを残すな」

その言葉にスタジアムは揺れ、ファンは祈るように手を合わせる。

どちらも野球というスポーツの一場面だ。しかし、そこにある「決断の根拠」は、まるで異なる惑星の言語のように隔たっている。

第2回となる今回は、MLBとNPBにおける「選手起用」の違いに焦点を当てる。そこには、セイバーメトリクスという「数字」がもたらした革命と、それでも捨てきれない「人間ドラマ」への渇望が映し出されている。あなたはこの違いを、どう受け止めるだろうか。

第1章:オープナー革命──「先発」という概念の崩壊

MLBにおける投手起用の概念を根底から覆した出来事といえば、やはり2018年のタンパベイ・レイズによる「オープナー(Opener)」の導入を置いて他にないだろう。

少し時計の針を戻そう。2018/05/19、レイズ対エンゼルス戦。先発マウンドに上がったのは、クローザー経験のあるセルジオ・ロモだった。彼は初回、打者3人を完璧に抑え、わずか1回でマウンドを降りた。続いて登場したのが、本来の先発タイプであるライアン・ヤーブローだ。

この奇策に、当時の解説者たちは首を傾げた。「投手陣が崩壊しているのか?」「苦肉の策だろう」。しかし、これは緻密に計算された戦略だった。

セイバーメトリクスには「TTTO(Times Through the Order)ペナルティ」という概念がある。先発投手が打者一巡目、二巡目、三巡目と対戦回数を重ねるごとに、被打率や被OPS(出塁率+長打率)が跳ね上がる現象を指す数字だ。

MLBの平均的なデータを見ると、投手が打線と3度目に対戦する際、OPSは1巡目の.700前後から.800近くまで悪化することが知られている。ならば、最も失点リスクが高い「上位打線」との最初の対戦を、強力なリリーフ投手に任せてしまえばいい──それがオープナーの論理だ。

結果はどうだったか。前年(2017年)に防御率4.14だったレイズ投手陣は、この戦略を導入した2018年、チーム防御率を3.74まで劇的に良化させ、90勝を挙げたのだ。

この数字が示した事実は重い。「先発は長いイニングを投げるもの」という100年以上続いた常識よりも、「27個のアウトを最も効率よく取る組み合わせ」という確率論が勝利した瞬間だった。現在、MLBではドジャースやブリュワーズなど多くの球団が、ポストシーズンという極限の舞台でも平然と「ブルペンデー」を採用する。そこにあるのは、個人の役割ではなく、勝利への最短ルートを示す「数式」のみだ。

一方、NPBではどうだろうか。
日本ハムファイターズが2019年にショートスターターを試みたり、DeNAベイスターズがマシンガン継投を見せたりすることはある。しかし、それはあくまで「先発が足りない時の緊急策」としての側面が強い。

日本のファン、そして現場の指導者の中には、依然として「先発完投」への美学が根強く残っている。「マウンドを守り抜く責任」「エースのプライド」。そうした精神性が、数字による効率化を無意識に拒んでいるようにも見える。「5回を投げなければ勝利投手の権利が得られない」というルール自体が、柔軟な起用を阻む鎖となっている側面も否定できないだろう。

第2章:プラトーン・システム──人間を「機能」として見る冷徹さ

打者の起用においても、日米の差は顕著だ。ここでキーワードとなるのが「プラトーン・システム」である。

MLBのラインナップを見ていると、相手投手が右か左かによって、スタメンがガラリと変わることに驚かされる。例えば、ロサンゼルス・ドジャース。彼らは2020年以降、毎年のように100通り以上の打順を組み、レギュラーシーズンを戦い抜いている。

ここでも判断基準は「数字」だ。
一般的な打者は、利き腕と逆の投手(右打者なら左投手)に対して打率や長打率が高くなる傾向がある。これを徹底し、例えば「対右投手のOPSが.850、対左投手が.600」という極端な傾向を持つ選手がいれば、彼は相手が右の時だけスタメンに名を連ねる。

かつてドジャースに在籍したジョク・ピーダーソン(現ダイヤモンドバックス)などはその好例だ。彼は左打ちの強打者だが、徹底して右投手専用として起用された時期があった。選手としてのプライドは傷つくかもしれない。「俺はレギュラーじゃないのか」と。しかし、チーム全体のOPSを最大化するためには、彼を「対右投手破壊装置」という機能として扱うことが正解なのだ。

翻ってNPBを見てみよう。
日本にも「左右病」と揶揄されるほど左右の相性を気にする采配はある。しかし、それはあくまで「迷った時の判断材料」レベルに留まることが多い。

NPBでは、一度「レギュラー」の座を掴んだ選手は、相手が誰であろうと試合に出続けることが良しとされる。「規定打席到達」が打者の勲章であり、たとえ相性の悪い相手でも「克服すること」が求められる。

「あいつは調子が悪いが、ここで代打を出したら自信を失ってしまう」
「ここは4番のプライドにかけて打ってもらわなければならない」

日本のベンチでは、こうした会話が日常的に交わされる。数字上の不利(例えば対戦打率.150)があったとしても、これまでの貢献度や、チーム内の序列、そして「流れ」といった不可視の要素が、冷徹なデータを上書きするのだ。

第3章:球団事例に見る「最適解」の模索

では、具体的にどの球団がどのようなスタイルをとっているのか。ここにも興味深い対比がある。

MLB:タンパベイ・レイズとLAドジャース

資金力のないレイズと、潤沢な資金を持つドジャース。対照的な両球団だが、「数字の使い方」においては双子のように似ている。
彼らのフロントオフィスは、ウォール街の金融トレーダーさながらにデータを解析する。選手の年俸や知名度に関係なく、弾き出された「勝利確率」に基づいて現場に指示を出す。監督のデーブ・ロバーツ(ドジャース)やケビン・キャッシュ(レイズ)は、時に批判を浴びながらも、そのデータに基づいた非情な采配を遂行する中間管理職的な能力が高く評価されている。彼らにとって、9回2アウトからの投手交代は「ドラマの破壊」ではなく「リスク管理の徹底」なのだ。

NPB:横浜DeNAベイスターズと阪神タイガース

日本球界で最もMLB的なアプローチに近いと言われるのがDeNAだ。ラミレス前監督時代から、データに基づいた極端な守備シフトや、8番に投手を置く打順など、常識にとらわれない起用を見せてきた。トラックマンやラプソードといった弾道測定機器の導入も早く、若手選手へのフィードバックにも「感覚」より「数値」を用いる文化が根付きつつある。

対照的なのが、伝統を重んじる阪神タイガースや読売ジャイアンツだろう。特に阪神の岡田彰布監督(2023年日本一監督)の采配は象徴的だ。彼はデータを否定はしないが、最終的な決断を自身の膨大な経験則──いわゆる「勝負勘」に委ねる。

「ここは、こいつで行くしかないやろ」

その一言が持つ重み。そして実際に選手がそれに応えた時、数字では説明できない熱狂が生まれる。2023年の日本シリーズで彼が見せた、データの定石を無視したような継投策や代打起用が的中したシーンは、まさに「人間力」によるマネジメントの勝利だったと言えるかもしれない。

第4章:なぜ私たちは「非効率」を愛するのか

ここで、私たち自身の心に問いかけてみたい。
あなたは、どちらの野球が見たいだろうか?

AIが弾き出した「勝率78%の選択肢」を淡々と実行し、予定調和のように勝利するチームか。それとも、「勝率30%」の無謀な賭けに出て、ボロボロのエースが奇跡的に抑える姿か。

MLBの野球は、極限まで無駄を削ぎ落としたF1マシンのようだ。そこには機能美があり、最高峰の技術と知性が詰まっている。オープナーもプラトーンも、すべては「勝利」という目的に対する誠実さの表れだ。数字は嘘をつかない。感情に流されて敗北することは、プロフェッショナルとして最大の罪だからだ。

しかし、NPBが大切にしてきたものは、少し違う場所にある。
私たちは、野球を通じて「人生」を見ているのではないだろうか。

苦しい時にこそ信頼して送り出す上司(監督)と、その恩義に報いようとする部下(選手)。データ上は絶対に打てないはずの天敵から、執念でポテンヒットをもぎ取るベテラン。そうした「数字の向こう側」にある物語に、私たちは心を震わせる。

「情」が「理」を凌駕する瞬間。
非効率極まりないその一瞬にこそ、日本野球のアイデンティティ──「浪花節」的な美学が宿っている。MLBが「ベースボール(球技)」を極めようとしているのに対し、NPBは依然として「野球(道)」を歩んでいるのかもしれない。

第5章:データの海で、何を選ぶか

もちろん、現代のNPBにおいてもセイバーメトリクスの波は確実に押し寄せている。パ・リーグを中心に、ホークスやイーグルスなど、データ活用に熱心な球団は増え続けている。MLBとの境界線は、かつてほど明確ではなくなりつつある。

しかし、それでもなお残る「違い」は、おそらく文化の深層に根ざしている。

アメリカのファンは、スタットキャストの数値を肴にビールを飲み、「なぜあそこで代打を出さなかったのか」を確率論で議論することを好む。
日本のファンは、翌日のスポーツ新聞の一面を飾る選手の涙や、監督のコメントに見える「人間味」を肴に酒を飲む。

どちらが優れているという話ではない。
ただ、起用法の違いというフィルターを通すことで、私たちが野球というスポーツに何を求めているかが浮き彫りになる。

数字は、冷たいようでいて、勝利への最も誠実な道しるべだ。
だが、その道を選ぶかどうかを決めるのは、結局のところ「人間」なのである。

今日の試合、あなたの贔屓チームの監督はどんな采配を振るうだろうか。
もし謎めいた交代があったとしても、すぐに「無能だ」と切り捨てる前に、少し考えてみてほしい。
その決断は、冷徹な計算によるものなのか。それとも、計算を超えた何かを信じた結果なのか。

ベンチの奥で腕を組む指揮官の視線の先には、私たちには見えない「数字」と「情熱」の天秤が揺れているはずだ。

次回予告

さて、起用法の違いが見えてきたところで、次はグラウンド上のパズル、「打順」に目を向けてみよう。
「2番最強説」は日本で本当に定着しているのか? 4番打者は本当にチームの顔でなければならないのか?
次回、第3回「打順構成に見る『数字と役割』の違い」で、その謎を解き明かしていく。

Baseball Freak後記

この記事を書きながら、私は2013年の楽天イーグルス、田中将大投手のあの連投を思い出していた。データで見れば狂気の沙汰だ。しかし、あの瞬間のスタジアムの熱狂は、どんな完璧な数式でも再現できない。
野球は数字のスポーツだが、数字を動かすのは人間の心臓だ。その矛盾こそが、私たちがこのゲームを愛してやまない理由なのかもしれない。

Rays highlights from comeback win over Red Sox (Opening Day 2018)

©MLB / YouTube公式チャンネルより引用。動画の著作権はMLBおよび配信元に帰属します。

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