2025/11/22

[Column] 📖第4回:「“数字を語る”メディア、“数字を避ける”実況」   📝Part4:MLB vs. NPB: Cultural Differences by the Numbers &mdash Vol. 4

MLBとNPB、数字で見る文化の違い vol.4

“数字を語る”メディア、
“数字を避ける”実況

かつて、あるメジャーリーグの試合中継を見ていたときのことだ。
実況のアナウンサーが、こともなげにこう言った。

「今の打球、角度は28度、初速は108マイル。バレルゾーンに入りましたね。文句なしのホームランです」

私は一瞬、耳を疑った。
えっ、いま彼は「角度」と言ったのか? 「素晴らしい当たり」とか「完璧なスイング」ではなく、まるで物理学の実験結果を報告するかのように、淡々と数字を口にしたのだ。

一方で、日本のプロ野球(NPB)中継にチャンネルを回してみる。
そこには、全く異なる「音」が流れていた。

「気持ちで運びました! 執念の一打! この回、流れが変わりますよ!」

熱い。確かに熱いのだ。
しかし、ふと冷静になって思う。私たちは、同じ「野球」というスポーツを見ているはずだ。
なのに、なぜこうも「語り口」が違うのだろうか?

今回はシリーズ第4回。「数字」というレンズを通したときに見えてくる、日米の野球観の決定的な違いについて、少し深く掘り下げてみたい。あなたも一緒に、この「数字と物語」の境界線を歩いてみてほしい。

画面を埋め尽くす「ノイズ」か、真実への「鍵」か

あなたがMLB中継を見るとき、画面上の情報の多さに驚いたことはないだろうか。
大谷翔平が打席に立つ。画面の隅には、彼の今シーズンの打率だけでなく、OPS、場合によってはwOBA(加重出塁率)までが表示される。投手がボールを投げれば、球速だけでなく、回転数(スピンレート)、変化量、そしてストライクゾーンへの到達確率までが瞬時に可視化される。

2015年、MLBは「Statcast(スタットキャスト)」を導入した。
これは、軍事用レーダー技術を応用し、ボールや選手の動きをミリ単位で追跡するシステムだ。これにより、野球は「経験と勘」の世界から、「物理と確率」の世界へと劇的な変貌を遂げた。

数字を見てみよう。
MLBの公式サイト「Baseball Savant」に行けば、誰でも無料で膨大なデータにアクセスできる。
例えば、「アーロン・ジャッジの打球速度(Exit Velocity)が平均95.8マイル(約154km/h)で、これはリーグ上位1%に入る」という事実が、数クリックで分かる。ファンはこの数字を見て、「ジャッジは単に調子がいいのではない。物理的に捉えられない打球を打っているのだ」と納得する。

ここでは、数字は単なる記録ではない。
それは、目の前で起きた奇跡を証明するための「共通言語」なのだ。

「すごいホームランだ!」

という感想は主観だが、

「飛距離450フィート(約137メートル)、打球速度115マイル(約185km/h)」

という事実は客観であり、誰にとっても揺るぎない真実となる。MLBのメディアは、この数字を積極的に「翻訳」し、視聴者に届ける役割を担っている。だからこそ、現地のファンはカフェでコーヒーを飲みながら、「あいつの打率は低いが、Hard Hit Rate(強打率)は高いから、そろそろ爆発するぞ」なんて会話を自然に交わしているのだ。

「間」と「情」を愛する日本の美学

翻って、日本の野球中継はどうだろう。
誤解を恐れずに言えば、日本の実況席は「数字」を恐れているようにすら見えることがある。

もちろん、打率やホームラン数、防御率といった伝統的な数字は頻繁に登場する。しかし、解説者が口にするのは、もっと抽象的で、情緒的な言葉たちだ。

「インコースの厳しいところ、よく腕をたたんで打ちましたね」
「ここはバッテリーの勝負勘が光りました」
「スタジアムの空気が、彼を後押ししています」

これらは、決して間違ってはいない。むしろ、野球というスポーツが持つ「人間ドラマ」の側面を鮮やかに切り取っている。日本において野球は、単なる競技以上に「生き様」を映す鏡のような存在だ。だからこそ、解説者は選手の心理や、その場の空気を言語化することに重きを置く。

例えば、ノーアウト満塁のピンチを無失点で切り抜けた投手がいたとする。
MLBの解説なら、「ハイファストボール(高めの直球)の回転数が2500回転を超えており、空振り率(Whiff Rate)が通常より15%高かった」と分析するかもしれない。
対してNPBの解説は、「気迫で押し切りましたね。まさにエースの仕事です」と称えるだろう。

ここに、決定的な「文化の断絶」がある。
日本のメディアにとって、数字はあくまで「添え物」であり、主役は「物語」なのだ。
もし実況が、「今の三振は、投手のスピン効率が98%だったため、ホップ成分が増した結果です」と言い出したらどうだろう? おそらく多くの視聴者は、「理屈っぽい」「興ざめだ」と感じるに違いない。

私たちは無意識のうちに、野球に「ロマン」を求めている。
数字ですべてが解明されてしまうことを、どこかで拒んでいるのかもしれませんね。あなたはどう思うだろうか?

「不運」を許容するアメリカ、「結果」を問う日本

この「数字へのスタンス」の違いは、選手への評価、ひいてはファンの心理にも大きな影響を与えている。個人的に、ここが最も興味深いポイントだ。

セイバーメトリクスには「xBA(Expected Batting Average:期待打率)」という指標がある。打球速度と角度から、「本来ならヒットになる確率」を算出したものだ。

メジャーでは、強烈なライナーが野手の正面を突いてアウトになったとき、解説者はこう言う。

「アンラッキーでしたね。xBAは.750もありました。プロセスは完璧です」

これを聞いたファンは、アウトになった打者を責めない。むしろ、「いいスイングができているから、次は打つだろう」とポジティブに捉える。数字が「結果」と「実力」を切り分けてくれるからだ。

しかし、日本ではどうだろう。
いい当たりでも正面をつけば、「ツキがない」「ここ一番で持っていない」と言われる。あるいは、「狙い球が絞りきれていない」「当てに行ったバッティングだ」と精神論で片付けられてしまうことすらある。
数字という客観的な物差しがない分、評価が「結果論」や「印象論」に引きずられやすいのだ。

「3割打者」というブランドが、日本ではいまだに神聖視されるのもその一例だろう。
現代の指標で見れば、打率.300の単打型打者よりも、打率.250でも四球を選び長打を打てる(OPS.850超えの)打者の方が、得点への貢献度は高いことが証明されている。
けれど、日本の新聞の見出しになるのは、やはり「猛打賞」であり「3割到達」だ。出塁率やOPSがスポーツ紙の1面を飾ることは、めったにない。

これは、メディアのリテラシーの問題というよりは、教育の違いに近いのかもしれない。
アメリカでは、スポーツを通じて統計学や確率論に触れる機会が多い。彼らにとって数字は「無機質な記号」ではなく、「選手を正当に評価するためのツール」なのだ。
対して私たちは、数字を「テストの点数」のように捉えがちだ。高いか低いか、良いか悪いか。その背景にある「中身(プロセス)」を語る言葉を、私たちはまだ十分に持っていないのかもしれない。

静かに起きている変化の波

とはいえ、日本が変わっていないわけではない。
むしろ、水面下では大きな変化が起きている。

近年、NPBの各球団はトラックマンやホークアイといった追尾システムを導入し、チーム内部ではMLBと遜色ないレベルのデータ分析が行われている。
DeNAベイスターズのように、親会社がIT企業である強みを活かし、データを戦略の中枢に据える球団も増えた。選手たちの意識も変わってきている。
ダルビッシュ有や大谷翔平の影響もあり、若い選手たちは「回転数」や「回転軸」といった言葉を当たり前のように使い、自らのフォームを科学的に分析し始めている。

変わっていないのは、むしろ「伝える側」なのかもしれない。
テレビ中継の画面構成は、平成の時代からほとんど変わっていない。実況のアナウンスも、昭和の熱血スタイルを継承している。
もちろん、それが悪いわけではない。私も、絶叫する実況を聞くと血が騒ぐ世代の一人だ。
だが、もしそこに「深みのある数字」が加わったらどうなるだろう?

想像してみてほしい。
佐々木朗希が160km/hを投げ込んだ瞬間、画面に「回転数2600rpm / 垂直変化量50cm」と表示される。
実況がこう叫ぶのだ。

「この回転数! 物理的に浮き上がっているように見えます! だからバットの上を通過するんです!」

これなら、「気迫」という言葉を使わなくても、その凄まじさは十分に、いや、より鮮明に伝わるのではないだろうか。
情緒と論理は対立するものではない。
数字は、物語を殺すのではなく、物語に「説得力」という厚みを与えるスパイスになり得るはずだ。

結び:数字の向こう側に見えるもの

野球は、数字のスポーツだと言われる。
投球、打撃、守備、走塁。すべてのプレーが記録され、データとして蓄積されていく。

MLBは、その数字を「エンターテインメント」へと昇華させた。
メディアは数字を語り、ファンは数字で議論し、その奥深さを楽しむ。そこには、知的な興奮と、公平な視点がある。

NPBは、数字の隙間に「行間」を読む文化を守り続けている。
そこには、数字では表せない汗の匂いや、心の揺らぎを感じ取る繊細な感性がある。

どちらが正しい、という話ではない。
ただ、私にはこう見えるのだ。
数字を避けることで、私たちは「野球」という巨大な氷山の一角しか見ていないのではないか、と。

海面下に隠された9割の真実。
なぜあのボールは打てなかったのか。なぜあの打球はスタンドまで届いたのか。
その答えを握っているのは、まぎれもなく「数字」だ。

もし、日本のメディアがもう少しだけ勇気を持って数字を語り始めたら。
実況席から「OPS」や「WHIP」という言葉が日常的に聞こえるようになったら。
私たちの目の前にある野球は、今までとは全く違う、新しい色彩を帯びて見えてくるはずだ。

あなたはどうだろう。
「気迫のストレート」だけで満足できるだろうか?
それとも、そのストレートが「なぜ打てないのか」を、数字で解き明かしてみたいとは思わないだろうか?

数字は、誰にでも開かれている。
あとは、私たちがその扉を開けるかどうかだ。

次回予告

さて、次回はいよいよ最終回。
「“データ”と“心”、未来の野球はどう交わるのか」。
AI審判やピッチコムなど、テクノロジーの進化が止まらない中で、人間がプレーする意味とは何なのか。
少し未来のスタジアムへ、あなたをお連れしたいと思う。

(Baseball Freak著)

Shohei Ohtani CRANKS Home Run No. 44!

©MLB / YouTube公式チャンネルより引用。動画の著作権はMLBおよび配信元に帰属します。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

Baseball Freak 人気記事