2025/12/03

[Column] ⚾️Part 3: The Drama Between Man and Record—The Phantom Perfect Game  /  第三話 幻の完全試合が語る、人間と記録のあいだのドラマ

【日本語/English切替】幻の完全試合が語る、人間と記録のあいだのドラマ
公開日: 2025/09/07

第三話 幻の完全試合が語る、人間と記録のあいだのドラマ

究極の快挙に宿る「一球の重み」

野球というスポーツの魅力は、どこにあるのだろうか。華麗なホームランや、劇的なサヨナラ打ももちろんそうだ。しかし、私(筆者)が最も心を揺さぶられるのは、記録には残らない「あと一歩」のドラマ、すなわち「Almost(惜しい)」の瞬間だ。

その最たるものが、「幻の完全試合」にほかならない。

完全試合。それは27人の打者を、一人も出塁させずに抑えるという、投手にとっての究極の無欠の証明だ。MLB史上、その達成者はわずか24例(※執筆時点のデータ)しかない。この絶対的な数字の裏側には、あと一人、あと一球で栄光に手が届かなかった男たちの、深い物語が横たわっている。

もし、あなたが9回2アウトまで完璧なピッチングを見届けたとして、最後の瞬間に審判の非情な、あるいは人間的な一瞬の判断によって、その記録が消え去るのを目撃したら、あなたはそこで失われた「数字」を嘆くだろうか。それとも、その出来事が生んだ「物語」に、より心を奪われるだろうか?

私たちは今日、その数字と物語の間の、深く豊かなギャップを覗いてみよう。

数字では測れない、「Almost」の伝説

究極の記録である完全試合は、その成否が、アウト/セーフ、ストライク/ボールといった、人間の審判の裁定に完全に委ねられている。この事実が、野球のドラマ性を格段に高めている。

1. 涙が刻んだ、ガララーガの「人間味ある伝説」

「幻の完全試合」を語る上で、まず避けて通れないのが、2010年6月2日にデトロイト・タイガースのアルマンド・ガララーガが演じた悲劇だ。

インディアンス戦、ガララーガは8回まで完璧な投球を続け、9回2アウトまで一人の走者も許さなかった。球場全体が総立ちになり、歴史的瞬間を待っていた。最後の打者、ジェイソン・ドナルドが放ったゴロを一塁手が処理し、ガララーガがベースを踏んだ。誰もが完全試合を確信した。

しかし、一塁審のジム・ジョイスが非情にも下した判定は「セーフ」。

球場は騒然とし、ガララーガは一瞬笑顔を見せた後に、苦笑に変わる。記録は完全試合ではなく、「完封勝利」に終わった。数字で見れば、彼は27人中26人を完璧に抑えた。あと一人の判定が覆れば、史上25人目の完全試合投手となっていたはずだ。公式記録上は、完璧ではなかった、ただの「Almost」だ。

ところが、この出来事を伝説に変えたのは、その後の展開だ。ジョイス審判は翌日、涙ながらにガララーガに謝罪し、ガララーガもまた「人間だから間違いはある」と審判を受け入れた。この美しいやり取りは、数字では失われた完璧さが、物語においては「人間味あふれる美談」として深く刻まれることになった。公式記録ではゼロになった完全試合の価値が、ファンの記憶の中では無限大に膨れ上がった瞬間だった。

2. あと一人で逃した、山本由伸の「幻のノーヒットノーラン」

そして、時が流れ、2025年。私たち日本人の記憶にも深く刻まれる「あと一歩」の物語が生まれた。

2025年9月6日(日本時間7日)、ボルティモア・オリオールズとの一戦。ドジャースの山本由伸は、この日のマウンドで圧巻のピッチングを披露した。

山本投手は序盤に2つの四球を与えていたため、記録はノーヒットノーランの偉業挑戦となったが、8回まで無安打無失点、そして9回も先頭打者を三振、続く打者を内野フライに打ち取り、快挙まであとアウト一つに迫った。

運命の9回2アウト。打席にはジャクソン・ホリデイ。

山本投手のこの日の112球目が、高々と上がった。打球はフェンスを越えるソロ本塁打となり、ノーヒットノーランの偉業は、あと一人のところで途絶えた。公式記録には「10奪三振、与四球2」の快投が残るものの、チームは救援陣が崩れて逆転サヨナラ負けを喫し、山本投手の勝利は幻となった。

数字では「敗戦」かもしれないが、あと一人、あと一球で大記録を逃したこの日のピッチングは、観客のスタンディングオベーションと共に、ファンの記憶に「記録を超越したAlmostの伝説」として深く刻まれることとなった。

「あと一歩」が残す、記録を超える余韻

私たちはなぜ、達成された完全試合よりも、惜しくも逃した「幻の完全試合」の方に、より感情的な余韻を感じるのだろうか。

その答えは、「Almost」という言葉が持つ、未完の傑作のような魅力にあると私は考える。

完全試合という「無欠の証明」は、達成されればもちろん最高の栄誉だ。しかし、あと一歩で手が届かなかった快挙には、完成された美しさとは異なる、人間の葛藤やドラマが凝縮されている。

  • 1959年、ハーヴェイ・ハドックスは延長12回まで完璧な投球を続けながら、13回に失点して敗戦した。
  • 1988年、デーブ・ステイブは9回2アウトまで完全試合を続けながら、最後の打者に安打を許した。

彼らの記録は、統計的な完璧さ(数字)は失われたが、その「あと一歩」が、その投球がどれほど凄まじく、完璧な鎖の最後の環がどれほど脆く断ち切られたかという物語を、より強くファンに印象づけるのだ。

幻の完全試合は、記録上は「失敗」や「Almost」に過ぎない。しかし、その「惜しさ」が、かえって投手の存在感を強調し、記録を超える物語的な価値を生み出す。数字で見ればゼロだが、物語においては無限の価値を持つ、と私は信じている。完璧に近い投球が崩れる瞬間にこそ、人間らしいドラマが生まれるのだ。

まるで、完璧な宝飾品を納める最後の瞬間に、職人の指が微かに触れて小さな傷がつき、それがゆえに「世界に一つだけの、完璧ではなかったが語り継がれる逸品」となる状況に似ているのではないだろうか。

記憶に残る、あなたの「Almost」は?

ガララーガの試合における審判の涙と、山本由伸の快投における「あと一人の本塁打」という結末。

これら二つの「幻の偉業」は、数字という絶対的な記録と、人間という相対的な要素がぶつかり合った結果生まれた、野球史に残る偉大なドラマだ。記録に残らない「あと一歩」の偉業が、記録を超える豊かな物語として、今も私たちの記憶に深く刻まれている。

記録上の不完全さが、これほどまでに豊かな物語を形成するスポーツが他にあるだろうか。

あなた自身の野球の記憶の中で、記録には残らなくても、決して忘れられない「Almost」の瞬間は何だろうか?

その「惜しかった」という感情こそが、野球の奥深さ、そして人間ドラマとしてのこのスポーツの最も魅力的な部分なのかもしれない。

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Armando Galarraga - Only hit of Almost Perfect Game

©MLB / YouTube公式チャンネルより引用。動画の著作権はMLBおよび配信元に帰属します。

“Lost No-Hitter with Two Outs in the Ninth… Yoshinobu Yamamoto Pitching Digest Dodgers vs. Orioles MLB 2025 Season (Sept. 7)”

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